あれから1年 [雑感・その他]
あの日から、ちょうど1年が経った。
昨年の今日、会社で仕事中に大きな地震に遭い
それから暫くは、いま思い出しても大変な日々だった。
震災後、1週間は自宅にいたが、水道が使えず、大変な不便を味わった。
約40kmほど北にある原発では大きな事故があり
いわきの街からは人影が消え
食料もガソリンも入手できなくなり、僕も一時的に、東京に避難したりした。
3月末には会社も稼働を始め、物資も少しずつ入手できるようになったものの
度重なる余震もあり、気持ちが休まることはなかった。
被災状況を確認するために海の方に向かってみたが
あまりの惨状に、言葉を失くして帰ってきた。
それからというもの、いわきの海には近付くことが出来ずにいたのだが
今日、あれからちょうど1年目に、海を見に行ってみることにした。
高速を使い、勿来まで南下して、最も被害が酷かったといわれる岩間地域を見ようとしたが
未だ道路は通行止めで入ることができず、岬を回って小浜港から車を走らせた。
港には、打ち上げられた船が、まだそのまま横たわっている。
北に車を走らせ、小名浜から中之作、江名を回り
昨年、震災後に見に行った豊間~薄磯地区へ。
前回は、見渡す限り瓦礫の山で、クルマが通れるような状況ではなかったのだが
瓦礫は学校の校庭に纏められており、昨年の昨日まで、多くの人たちが生活していた場所は
いまや基礎しか残らない、見渡す限りの更地になっていた。
以前、家が建っていたと思しき場所には、所々に花が手向けられている。
瓦礫の山を見たときもショックだったが、今こうして、何もない平地を眺めると
改めて、何とも言えないやるせなさを感じるのだった。
さらにクルマを北に走らせ、新舞子を通過して四倉~久ノ浜方面へ。
こちらもやはり、想像通りの風景が広がっていた。
ちょうど震災から1年目だからだろう。きっと以前、そこに住んでいたであろう家族が
その地を確認し、犠牲者を追悼するために、何人も戻ってきていた。
どこに行っても、津波で流された場所は、ただきれいに片付けられただけで
なにも前には進んでいない。
しかし辛うじて難を逃れた家では、まだ生活を続けている方々も少なからず見かけたし
新たに建てている家も幾つかあり、複雑な感情に包まれる。
1年という時間の長さと短さ
人間の強さと儚さ、逞しさと脆さ
など、どうしても一括りでは語れないものを目の前にして
やはり言葉を失ってしまうのだった。
原発の問題はまだ片付いていないし
戻る家を失ってしまった人たちの行方も、まだ定まってはいない。
自分の生活は、既にほぼ震災前に戻っており、最近は強く思うことも少なくなっていたのだが
改めて、震災の傷の深さを感じた1日だった。
昨年の今日、会社で仕事中に大きな地震に遭い
それから暫くは、いま思い出しても大変な日々だった。
震災後、1週間は自宅にいたが、水道が使えず、大変な不便を味わった。
約40kmほど北にある原発では大きな事故があり
いわきの街からは人影が消え
食料もガソリンも入手できなくなり、僕も一時的に、東京に避難したりした。
3月末には会社も稼働を始め、物資も少しずつ入手できるようになったものの
度重なる余震もあり、気持ちが休まることはなかった。
被災状況を確認するために海の方に向かってみたが
あまりの惨状に、言葉を失くして帰ってきた。
それからというもの、いわきの海には近付くことが出来ずにいたのだが
今日、あれからちょうど1年目に、海を見に行ってみることにした。
高速を使い、勿来まで南下して、最も被害が酷かったといわれる岩間地域を見ようとしたが
未だ道路は通行止めで入ることができず、岬を回って小浜港から車を走らせた。
港には、打ち上げられた船が、まだそのまま横たわっている。
北に車を走らせ、小名浜から中之作、江名を回り
昨年、震災後に見に行った豊間~薄磯地区へ。
前回は、見渡す限り瓦礫の山で、クルマが通れるような状況ではなかったのだが
瓦礫は学校の校庭に纏められており、昨年の昨日まで、多くの人たちが生活していた場所は
いまや基礎しか残らない、見渡す限りの更地になっていた。
以前、家が建っていたと思しき場所には、所々に花が手向けられている。
瓦礫の山を見たときもショックだったが、今こうして、何もない平地を眺めると
改めて、何とも言えないやるせなさを感じるのだった。
さらにクルマを北に走らせ、新舞子を通過して四倉~久ノ浜方面へ。
こちらもやはり、想像通りの風景が広がっていた。
ちょうど震災から1年目だからだろう。きっと以前、そこに住んでいたであろう家族が
その地を確認し、犠牲者を追悼するために、何人も戻ってきていた。
どこに行っても、津波で流された場所は、ただきれいに片付けられただけで
なにも前には進んでいない。
しかし辛うじて難を逃れた家では、まだ生活を続けている方々も少なからず見かけたし
新たに建てている家も幾つかあり、複雑な感情に包まれる。
1年という時間の長さと短さ
人間の強さと儚さ、逞しさと脆さ
など、どうしても一括りでは語れないものを目の前にして
やはり言葉を失ってしまうのだった。
原発の問題はまだ片付いていないし
戻る家を失ってしまった人たちの行方も、まだ定まってはいない。
自分の生活は、既にほぼ震災前に戻っており、最近は強く思うことも少なくなっていたのだが
改めて、震災の傷の深さを感じた1日だった。
2012-03-11 23:33
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